ごあいさつ
万人に慕われ幸招く
当神社は、日本海と琵琶湖周辺諸国を守護し給う、北陸・福井の「こんぴらさん」として、古くから多くの人々の信仰を集めております。
※神社の正式名は 「ことひらさんぐう」 でございます.
お社は日本海近くの越前町にある幡ケ山の山頂に御鎮座しております。人俗を脱し清浄なる境内に身を置いて日々の生活を自省されたり、心の修行を行っていた先人を思い起こして 御参拝戴きたいと思っております。
讃岐・金刀比羅様の御分霊を戴いている当神社が海上安全の守護神であることから海上安全・大漁祈願の御神徳を仰ぎ参拝される方が多くいらっしゃいます。
また御祭神の大物主大神様が万民に慕われ、 御参拝の御家庭に幸を招くという御神徳を仰ぎ 家内安全。無病息災、交通安全、商売繁盛など諸願成就の御祈願もさせて戴きます。
さらに色々な心配事や悩み事解消の祈祷も御奉仕しております。
御祭神・縁起
御祭神
(写真は当神社に伝わる江戸時代の絵馬) 御祭神である大物主大神様(おおものぬしのおおかみさま)は国開きに当たって植林・農業・殖産・漁業・航海・医薬・諸芸に至る百般の事業と生活全般に亘り指導された神様です。
いわば「万能の神様」であり、頼りがいのある神様であられます。
それだけに、我々の日常生活に深く結びつかれ、万民に慕われる 御神徳は幅広く、多くの信仰を集めております。
約三百年前、当時の宮守・高原正信大人によって四国の讃岐・金刀比羅宮の御分霊を奉鎮致しました(縁起参照)。
縁起
起源は出雲地方の御社
当神社は神世の昔から出雲地方に鎮座していた御社(おやしろ)が起源でございます。
600年前に当地に奉鎮
しかし、約六百年前の南北朝・後醍醐天皇の時代、故あって越前の地に奉遷されたのが興りであるといわれております。社伝に依れば当時、出雲から安住の地を求めて日本海を北上、難関苦難の果てにこの地を定め奉鎮されたといいます。
高原正信大人が300年前に受けた神の啓示
一方、江戸時代も下るにつれ、百年来の大雪や大飢饉に加え、為政者の過酷なる弾圧などが重なり、この地方の庶民は大変苦しい状況に陥っておりました。
今から約三百年前、心を痛めた当時の宮守・高原正信大人は元文元年(1736年)はるばる讃岐・金刀比羅大権現(現在の金刀比羅宮=写真=)に詣で、幾日にも亘って一心に大権現様にお救いを求めました。
はたしてある夜、「我を汝の地(=越前の地)に祀れ」という神の啓示を受けたのです。
讃岐詣30年ついに御分霊を奉鎮
正信大人は寛保元年(1741年)から安永元年(1772年)まで三十年以上の長きに亘り、毎年讃岐詣を行いました。
そしてついに許しをいただいて翌安永二年(1773年)七月十日、幡ヶ山の山頂に新たに建立した御社殿に金刀比羅大権現の御分霊を奉鎮致しました。
故に当社では毎年七月十日を例祭の斎行日と定めております。
■写真は参道入り口の大鳥居につけられている「金刀比羅山」の額束(がくづか)